Darley Arabian — Equinox
1700年頃、シリアの砂漠から一頭の馬が英国へ渡った。
Darley Arabian——現代サラブレッドの95%がその血を引く始祖。
以来319年、父から子へと受け継がれた血の系譜は
大洋を渡り、日本競馬の頂点に君臨する世界最強馬に至る。
28頭の名馬が紡いだ、父系の物語。
c.1700 — 2019
シリア・アレッポの砂漠で生まれたアラブ馬。イギリス商人Thomas Darleyが300金ソヴリンで購入し、ヨークシャーへ送った。一度も競走に出ることなく種牡馬として供用され、Y染色体解析により現代サラブレッドの約95%がこの馬のY染色体を保有していることが確認されている。
運動すると鼻から大量出血する「Bleeding Childers」。一度も競走に出られなかったが、種牡馬として1742年チャンピオンサイアーに。無敗の名馬Flying Childersの全兄弟。
蹄葉炎で歩行困難となり殺処分が決まった。しかし一人の厩務員が命乞いをして命を繋いだ。この決断がなければ、Eclipseも、現代のサラブレッドも存在しない。
カンバーランド公の死後、わずか20ギニーで農夫に売却された。しかし息子Eclipseの栄光により種付け料は100ギニーに跳ね上がる。George Stubbsが描いた黒鹿毛馬。
「Eclipse first, the rest nowhere」——18戦全勝の偉業を成し遂げた近代サラブレッドの始祖。その圧倒的な走りは競馬の歴史を根底から変えた。
厩務員が飼い葉桶に「Pot」と8つの「O」を書いた綴り間違いがそのまま正式名になった18世紀の珍事。レース中に馬主が替わるという異例の取引でも知られ、売買成立直後のそのレースを勝って新馬主のもとへ渡った。
名牝Penelopeとの配合から全産駒「W」始まりの名を持つ一族が生まれ、全兄弟WhaleboneとWhiskerを含む4頭のダービー馬を輩出。Eclipse系とHerod系の血が融合した理想的な交配の結晶。
体高15ハンド半インチ、「トルコポニーのような外見」と揶揄された小柄な体躯。しかしたった510ギニーで転売されたこの馬から、Sir HerculesとCamelという二つの父系王朝が枝分かれした。
「余剰」と見なされた繁殖牝馬Periが胎内にこの馬を宿したままアイリッシュ海を渡り、ミース州で産声を上げた。平地のBirdcatcherから障害のDiscountまで、アイルランド馬産に新時代を切り拓いた種牡馬。
被毛に浮かぶ原因不明の白い斑点は今なお「Birdcatcher spots」の名で呼ばれる。全15戦をカラ競馬場のみで走りながら、産駒は海を越えて英国クラシック7勝を挙げた地理的逆説の種牡馬。
「痩身で凶暴な男爵」の異名を持つ気性難の栃栗毛。Theobald牧場でわずか2シーズン供用されただけでStockwellとRataplanの全兄弟を残し、フランスへ売却された。
「種牡馬の帝王(Emperor of Stallions)」——醜いと嘲られた仔馬が、12頭のクラシック馬と三冠馬Lord Lyonを世に送り出し、19世紀の英国競馬を支配した。
950ギニーで買われ、45対1でダービーを制し、14,000ポンドで転売され、最後はオーストリア皇妃エリーザベト(シシィ)の手に渡ってハンガリーで余生を過ごした。値段が語る19世紀の名ステイヤー。
金色の馬体に銀のたてがみ——サイアーラインで最も美しく、最も物議を醸した馬。2012年のDNA鑑定は、この馬が血統書上の「Bend Or」ではなかった可能性を示した。
マイルを超えると走れなかった2000ギニー馬。25ギニーの種付料で始まった種牡馬生活は、Cylleneの誕生で一変し、15,000ギニーでハンガリーに渡って5度のリーディングサイアーに君臨した。
小柄で貧弱だった仔馬が11戦9勝の名馬に成長し、30,000ギニーの高値で売却。4頭のダービー馬を送り出し、うち1頭は国王エドワード7世の愛馬、もう1頭は史上わずか6頭の牝馬ダービー馬だった。
ケンブリッジ大学動物学博物館のロビーに、今も1頭の馬の全身骨格が展示されている。「理想のサラブレッド」の標本として保存されたその馬は、英リーディングサイアー5度の記録を持ち、2012年のBend Or DNA鑑定にもその歯が使われた。
第一次大戦下、ニューマーケットだけで全24戦を走った無名のスプリンター。5,000ギニーでも買い手がつかなかったこの馬が、たった一頭の牝馬Scapa Flowとの交配からPharos、Fairway、Fair Isleを生み、現代サラブレッドの父系の90%を支配する王朝を築いた。
Phalaris×Scapa Flowの黄金配合から生まれた「もう一頭の兄弟」。ダービーでは戦術ミスに泣いたが、種牡馬としてNearcoを世に送り出すことで雪辱を果たした。
テシオの最高傑作にして14戦全勝のイタリアの英雄。ムッソリーニがヒトラーと同盟を結ぶなか世界レコード価格で英国へ売却され、3本の独立した父系を通じて世界を征服した。
このサイアーラインで最も地味な競走成績の馬でありながら、Nearcoの血をアメリカへ届けた運び手。3つの国を渡り歩き、見えない遺伝力で歴史を動かした。
生産者の死によりアメリカへ渡った孤児馬。キーンランドでグッゲンハイム家に2万ドルで落札され、のちに140万ドルでシンジケートが組まれる種牡馬となった。
最初の5戦を落とした馬が、濃霧のアケダクトで覚醒。わずか9ヶ月で全米2歳王者に駆け上がり、種子骨骨折で消えた。種牡馬としてRoberto、Haloを通じ父系を世界に広げた。
馬場を変えた転換者。ダートでは凡庸な成績に終わったが、芝に替わって別馬のように覚醒した。母Cosmahを通じてNorthern Dancerの母系と交わる隠された血の結節点。
二度のセリで買い手がつかず、76歳の老調教師に拾われた雑草馬。日本に渡りサイアーランキング13年連続首位 — 競馬史上最大の逆転物語。
Sunday SilenceとWind in Her Hairの間に生まれた長兄。全弟ディープインパクトの影に隠れ続けたが、キタサンブラックを通じて独自の父系を確立した。
演歌歌手・北島三郎が50年以上の馬主生活の末に巡り合ったG1×7勝の名馬。武豊騎乗で天皇賞春秋、ジャパンカップ、有馬記念を制覇。種牡馬としてイクイノックスを輩出。
一口馬主500口×8万円の出資馬が、Longines世界最強馬に。10戦8勝、G1×6勝、獲得賞金22億円超。ルメール騎手とともに日本競馬の頂点を極めた青鹿毛馬。
サイアーラインの直系ではないが、血統史上重要な馬
「空を飛ぶ馬」と呼ばれた18世紀最強の競走馬。全戦無敗を貫き、金の重さでも買えないと言われた。しかしサイアーラインは途絶え、走れなかった全兄弟Bartlett's Childersの系譜がEclipseへと繋がった。
→ Bartlett's Childersの全兄弟 21世紀セレクトセールで7,350万円、無敗の三冠馬にして種牡馬としてリーディングサイアー11年連続首位。全兄Black Tideの影で生まれた弟が、日本競馬史上最高の馬となった。
→ Black Tideの全弟